6F 西病棟にて


 入院した父が、真っ先に要求したのがカメラ、というほどここは眺めが抜群の病院だった。名古屋駅に建設中のツインタワーとその間に栄のテレビ塔が挟まってみえる。金山にできた全日空ホテル、さらに南に名港トリトン(大橋)と観覧車、北に目をやればナゴヤドーム、おまけに名古屋空港までも見えてしまい、真上をジャンボが迫力で通過していくのだ。まさに名古屋一望、である。
 近所の医院から隣の区の某大病院まで、10近くまわり、CTスキャンから針治療まで受け、結局原因不明と言われ続けていた父の病気。昔から「もし罹っても告知してほしくないな〜」と冗談めかして言っていた。しかし入院先が「愛知県がんセンター」という名前を持っていては、かくすもかくさないもないのだった。
 抗がん剤で髪の毛もなくなり、ますます体重も軽くなる。同じ病室の人が面白い人揃いだったり、母(専業主婦)、長女つまり私(フリーター)、次女(再び学生)の残り3人が比較的看病に来る時間がとりやすかったり、とそんなことが不幸中の幸いといったところか。笑いながら「まだヨメにやらなくてよかった」などという。
 家での生活も変化した。置きっぱなしの車。門限は1時間早まり、さっさと鍵をかけるようになった。ほぼ毎日誰かが病院にいるので、狭い家なのに何だかガランとしている。そして時々泣きわめいたりして、一番大変な母を更に痛めつけてしまい、また反省する。
 最低、半年はこれが続くのだ。

 自分にあまり遠慮せず、遊びたいときは遊んでこい、と父は言う。母もそれで(今は責任者ということもあり)趣味のスポーツを続けている。私も、自分的に許される範囲内でいろいろと楽しみ、それをみやげ話に父の待つ病室へ行く。母と一緒に近場へドライブするのが何より楽しみだった父は、今や超ワイドショー通になってしまった…。
 煙草も酒も全く駄目で、親戚に同じ病気の人もいないのに、わからないものだ。

 家柄・学歴・才能・地位・収入・名誉・権力・金・宗教・思想・流行・恋愛・趣味…。

 何にしがみついて、何にプライドを持つのも各々の自由。しかしこれらは身体あってこその付属品にすぎない。何をおいても健康、そして支えてくれる家族。健康も広義ではあるが、それより大切なものなどない。…本当に、ないのである。