数学!!!!!

 もうこれは、私の友人の間では周知の事実でナニを今さら、という話なのですが。
えー、私は数学がニガテです。と、言うと「イヤわたしも」とおっしゃる方が必ずみえます。なめちゃいけない。この私の数学音痴はただごとではないのだから。長い間このネタで笑いをとってきた、プロ級の数学できない人間(?)なのです。
 例えば、私はお尻も大きく足も太いのです。このことを告白すると皆さん「そんなことないよ」って言ってくれますね。しかし実際、一緒に温泉などに入ると皆さん無口になってたりします。こっちがかえって申し訳なく思う時もあったり。
 お尻や足の話はさておいて、数学です。
 証拠物件としてここで通知表を公開するとしましょう。何だかあやしくなりはじめたのは中3。自分でも「おや?」とは感じましたが、とりあえず3はとっていました。で…徹底的に落ち込んだのは高校。1〜3学期が3年間なので、評価は合計9回。そのうち5回が「追試」を表わす赤い丸で囲んであります。
 1年の2学期には、普通の方が滅多に拝めないという「1」という評価が!しかもこの時は10段階評価!!
 通知表に書き込んである担任の先生の言葉も冷たい。「数学が赤信号」「依然として芳しくありません」「数学を何とかしよう」「同上、最後はきれいに卒業しよう」笑うしかありません。
 この頃にはすでに赤点・追試は慣れたもの。テストが返却され、平均点が発表されるとすぐ6割を計算するクセがつきました(6割以下が追試)。一緒に追試を受けるグループで友達を作ったし。
 教科書ガイドは各種すべて取り揃えてあったので、授業はやりすごせたのですが、テストはめちゃめちゃ。返却後、間髪入れずにくしゃくしゃに丸めて捨ててしまったのですが、覚えているだけでも6点が1回、5点が1回、そして0点が確か2回。その時はさすがに6割計算をする気にはなれませんでした。それにしても、0点でも偏差値が35くらい戴けてしまうのは面白かったですね。
 数学担当の先生は、一体どういう奴だ!と思ってらっしゃったでしょうね。担任が数学だったらかなりやばかったと思います。1年の時、数学の最後の授業でT先生は言いました。
 「君はほんっとうに!ギリッギリで!2年生にそのまま上がれるんだからね!」それも戸口の所で帰り際に。うーん。
 3年進級前の春休み、数学のみの宿題が出されました。宿題をやりながらテレビを見ていた私。両側から開く冷蔵庫の名前募集、という広告を見て、それを考えつつ問題を解いて(?)いました。
 新学期、数学のY先生から提出したノートが返却されました。はらりと落ちる紙切れ。それを見て私は真っ赤に!「スイッチヒッター」だの「スイング双」だの「両利き名人」だの、訳のわからない単語が書き付けられていて、きわめつけ。
 Y先生の赤いペンで「なんじゃ、こりゃ?」
 うちの高校は夏休みに1講座500円で特別授業を受けられるのですが、それとは別に成績の悪い者も、その学科を強制的に受けさせられました。
 何とそちらはタダ!頼むから上向いてくれという学校側のおもいが伝わってきますね。
 もちろん3年間受けましたが、本人の努力が足りず、最後の最後でツケが回ってきました。そう、受験です。
 2月の4、5、6、7、9日の5日間が受験する日でした。だというのに私は1月31日に行われる数学の卒業テスト(普通の生徒はもちろん免除のテスト)勉強を、こともあろうに職員室のY先生の隣の席を借りてやっていたりしました。
 卒業テストも受験も何とか合格し、先生方には本当に感謝しています。「志望校に合格した!」と職員室に報告しに行った時、担任にめちゃめちゃ驚かれ、Y先生には「数学が受験科目だったらアンタ、日本中の大学落ちてたわね」と言われたとしても、です。
 卒業テストに落ちると、前校舎の外壁を掃除しなければ卒業できない、と聞き、受験より必死だったかもしれません(でも、本当か?)。
 思えば小学校で「くりかえし計算ドリル」を一回もくりかえさなかったことが今の私を生んだのかも…。社内旅行で11個入りのお菓子を4人で分けようとして、思いっきり「3・3・3・4ね〜!」などと言って、周りの空気を止めてしまう今の私を…。